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◆2016年


 11月29日(火)

 私にとっては「衝撃の事実」が1つ判明しました。
 現在大学3年生の多くは(つまり、留年、浪人などせずに6・3・3と初等中等教育を終えてそのまま大学に進学した場合に)、いわゆる「完全ゆとり教育世代」なのですが、彼ら/彼女らは、童謡「スズメの学校」を知らないのだそうです。
 「チーチーパッパ、チーパッパ」は、全く通じません。
 ショックでした。

 「鞭を振りふりチーパッパ」は、体罰を連想させるからダメ、ということでしょうか。

 童謡に「言葉狩り」が及んでいるようで、むしろ背筋が凍る思いを感じましたが、大袈裟に過ぎるでしょうか。
 2年生にも、この歌を聴いたことがある者は、1人もいませんでした。

 ちなみに「誰が生徒で先生か」わからない「メダカの学校」は全員が知っているそうです。
 あな恐ろしや。

 11月24日(金)

 もう1か月半も前のことですが、10月09日(日)の午後、交通事故に合いました。助手席に乗り、私の連れ合いの運転で最寄りのJR稲毛駅まで送ってもらう途中でした。
 センターラインもない細いバス通りをゆっくりと走っていたのですが、さらに細い路地から飛び出してきた小型乗用車が左折しきれず、こちらの自家用車の右前部から後部にかけて、側面全体を凹ませました。
 私、連れ合い、そして衝突してきた車を運転していた相手方の53歳独身女性の3名とも外傷はありませんでした。そこで、その場では単なる物損事故だと思いました。私の通報に応じて駆けつけた警察官の調べも簡単なものでした。
 しかし、その日の夜に、連れ合いは身体の数か所に痛み、私は首と肩の右側後部に「こわばり」を感じるようになりました。一晩明けると、2人とも痛みと痺れを発症していました。
 時悪しくも3連休中で、医師の診断を受けたのは11日(火)の朝でした。骨には異常なく、2人とも「捻挫」という診断でした。
 その日は、大学で授業がありましたが、右手でチョークを持ち、板書すると、さらに厳しい痺れが襲ってきました。重い痛みも感じました。
 さらに、2週間ぐらいたってから、左手に「こわばり」を感じ、医師によるとそれも首からきているということでした。そして、すぐ痛みや痺れに転じました。
 板書ができないことも辛いのですが、さらにキーボードの入力時にミスタッチが頻発するようになりました。痺れてうまく入力できないのです。これは実にイライラします。1時間もかからずに終わるだろうと見込む仕事に数時間、ものによっては10時間以上費やすことも珍しくなくなりました。
 そして、そうした状況は、やや改善されながらも、現在でも続いています。

 11月19日(土)

 2年以上の空白期間を経て、ようやくこのウェブサイトを再生する条件が整ってきました。そこで基本構成は第9版のままですが、いわばその第2期工事に取り組むことにしました。
 昨2015年の3月、北海道に移住するにあたってバタバタと準備に追われていた時期がありました。なんせずっと転勤とは無縁の生活でしたし、半年ほどで戻ってくるつもりでしたから、何を持って行き、何を置いていったら良いのか、ずいぶん迷いました。
 パソコンについては、仕事用に自作したメインパソコン「酔脳5号」は自宅に残し、ノート型のものだけを持って行くことにしました。実際はそうはならなかったのですが、北海道の生活は時間にゆとりのあるのんびりとしたものになるだろうと予想していました。そこで、ほったらかしにしていたウェブサイトの再構築もおいおいできるだろうし、溜まりにたまったまま未整理の各種研究データも整理できるだろうと、考えていました。
 ノート型パソコンの欠点の1つに、内蔵するデータ量の限界があります。外付けハードディスクを購入したり、既存の記録媒体を整理したりの作業には、思いのほか手間がかかりました。
 そして、気ぜわしく作業をするとき、しばしば起きる「事故」に見舞われてしまいました。パソコン内のデータをあちこち移し替えているうちに、混乱が始まりました。通常、大切なデジタルデータは、最低3箇所にコピーを置いて滅失に備えていますが、それも混乱に拍車をかける災いのもとになってしまいました。災禍は「酔脳5号」に及び、各種の設定を記録したファイルを失ってしまったのでした。
 失われたデータの中には、このウェブサイトを更新する際に不可欠なものが含まれていました。法政大学の情報センターに出向けば解決できるだろうとは思いましたが、それはついぞ後回しになり、北海道に旅立つ日まで実現できませんでした。
 このウェブサイトを再生する最大の条件は、その失われたデータの回復でした。そしてそれが、ようやく11月18日に総長信任の是非が問われた投票に出向いた後、情報センターに足を運んだことでようやくできたのでした。

 

◆2015年


 04月01日(水)~2016年03月31日

 私は、法政大学から国内研究員として1年間国内留学する機会をいただきました。
 留学先は、一般的な大学ではなく、夕張市役所に決めました。当初は、この1年間を2期に分け、前半は札幌市に居を移して夕張市に通い、後半は千葉の自宅に戻って消防行政の研究を取りまとめるつもりでした。
 夕張市内に住まいを借りなかったのは、適当な賃貸住宅がないためです。歴史的な経緯を反映して、夕張市には数多くの空き室(公営住宅)があります。鈴木直道市長からは、法政大学からの給与が止まれば斡旋すると言われましたが、もちろんそれでは生活が成り立ちません。また、単身赴任ではなく、北海道にまったく馴染みのない私の連れ合いも勤めを辞めて同行することになりましたので、いろいろ総合的に考えて札幌に住まいを選びました。
 札幌は、昔から単身赴任者が多く住むまちです。家具家電付きの賃貸物件が多くあります。最後は「温泉付き高層マンション」との選択で迷いましたが、結局「すすきの」南端に位置する35階建ての19階を借りて住みました。
 札幌の暮らしは、実に快適でした。まさに去りがたく、結局3月末から12月の半ばまで、足かけ10か月を北の大地に暮らしました。
 夕張市役所では、市長から非常勤特別職(無給)の辞令を受け、主に地下の書庫に通って資料調査を行いました。
 またせっかくの機会を活かすべく、道内179市町村をできるだけ訪ねるよう努め、惜しくも8市町村を残しましたが、全道各地を駆け巡りました。